関西偏重の流れに歯止めをかけたアンタッチャブル

2004年M−1グランプリ優勝! 
 2001年にスタートした「M−1グランプリ」で、アンタッチャブルがぶっちぎりの初優勝を果たしたのが2004年。

 

 中川家の連続優勝や関西偏重の流れに歯止めをかけたのも彼らでした。

公式サイトより


 事前の優勝候補として名の上がっていた彼らの漫才はとても衝撃的でパワフルであった。なんといっても山崎の自由で予期せぬボケ、それに対して柴田英嗣の厳しくも激しいツッコミ!

 

 「M−1グランプリ」が始まって以来の、それぞれの個性がぶつかりあう重量級の漫才に当時は度肝を抜かれた思いでした。そんなアンタッチャブルがある時期からコンビ活動を休止。

 

 いったい今までどんな経緯があったのでしょうか?
また、今回のコンビ復活劇にも焦点を当ててみようと思います。


11月29日放送の『全力!脱力タイムズ』で突然の復活!

10年ぶりの漫才復活
 11月29日放送分のフジテレビ系バラエティ番組『全力!脱力タイムズ』で、アンタッチャブルが10年ぶりの漫才復活!

 

 

 

 

 登場シーンやブランクを感じさせないボケとツッコミにベテランの絶妙さを感じさせた。


柴田英嗣さん無期限休養

2010年1月活動休止
 アンタッチャブルがコンビでの漫才を休止したのは、2010年1月。相方の柴田英嗣のレーシック手術による合併症により、体調不良を理由に活動を休止すると発表されました。

 

 この発表により、アンタッチャブルを応援していたファンや若手芸人の間では彼を心配する声も少なくありませんでした。


繰り返す女性問題

好感度ガタ落ち
 ところが病気療養ではなく、実際は度重なる女性問題での謹慎と判明します。
 それも一人の女性に対し幾度となく問題を起こし周囲に迷惑をかけまくる柴田に、根がまじめな山崎は完全に怒ったそうです。

 

 事務所から1年の謹慎生活。復帰後するも、コンビ出演のレギュラー番組には山崎のみの出演でした。

東スポ2月17日より引用

 


くりぃむしちゅーの有田の存在

くりぃむしちゅーの有田の事務所への移籍を希望していた過去

Twitterより

 

 同じ女性と多くの問題を抱え、時には警察が関与するときもありました。このような状況では先々コンビ復活がしても、柴田のツッコミに対して反感こそあれ、視聴者やお笑いファンの共感は一切得られない。

 

 一時期、山崎が兄のように慕うくりぃむしちゅーの有田の事務所への移籍を希望という話もあったほどです。

現在の柴田の活躍ぶり

10本近いレギュラー・準レギュラー番組

スポーツ報知より

 現在の柴田英嗣のテレビ出演番組を調べてみると、志村でナイト、道玄坂コネクション、激レアさんを連れてきたや快傑えみちゃんねるなど全国ネットや地方局を含め10本近く出演していることがわかります。

 

 番組を毎週欠かさず視聴している子供たちの中には、ある種の好感度さえも生まれているようです。放送作家に限らず、ここ数年の柴田の実力を再評価し始めているのは間違いなかった。

 

 柴田の業界での仕事に対する姿勢や活躍、これらの事実は相方の山崎もよくわかっていたはずです。

 

 このような状況下での、有田からの提案で実現したコンビ復活という流れでしょう。

復活劇から

芸能界での復活劇
 誰かが助けたということでもなく、時間の経過が許したわけでもなく柴田が実力で勝ち取った復活と言っても過言ではありません。

 

 彼らの状況を知るからこそあの突然の漫才には価値があったと思います。

 

 柴田のために10年待った山崎の男前さを、さらに番組の最後に「私への神対応ありがとうございます」のフレーズに一言では語れない多くの意味を感じました。

 

 芸能人の倫理感が疑われている中、本人の努力が実を結んだといえるのではないでしょうか。

 


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