藤井聡太の学校は?成績や出身校はどこ?

藤井聡太の学校は?成績や出身校はどこ?

藤井聡太の学校は?成績や出身校はどこ?

最年少記録を更新
 5歳から将棋を始め、中学2年(14歳2ヶ月)という史上最年少の若さで将棋界のプロ入りを果たしました藤井聡太さん。

 

 その後も29連勝という最多連勝記録を樹立。文字の読み書きを覚える前に将棋の符号を覚え、現在では将棋界で数々の「最年少記録」を更新されています。

 

 将棋の対局があるため、藤井聡太さんは学校を休むことが多く、イベントも欠席しがちだそうですが、それにもかかわらず成績を落とすことなく、学業と将棋を両立されています。

 

 2020年現在、現役の高校生である藤井聡太さんの学力も常に上位をキープされているようです。

 

 今回は藤井聡太さんの学校の成績や出身校について調べてみようと思います。


藤井聡太の出身高校は

国立の中高一貫校
 藤井聡太さんは、名古屋大学教育学部附属高校(愛知県)を卒業。この高校は名古屋市に位置し、国立の中高一貫校として知られています。

 

 併設型の中高一貫校としては唯一の国立学校であり、偏差値は62に達しています。高校進学の際、藤井さんは学校に通うことで時間制約が増えるため、悩まれたそうです。

 

 しかし、最終的に高校進学を選ばれ、将棋の道においてはもちろん、他の重要な時期でもあるとのお話をされていました。

 

 名古屋大学教育学部附属高校には、くらなりんさんや辻元清美さんをはじめとする著名人が多く卒業されています。この高校は3クラスの少数制で運営されており、系列の中学校から進学する生徒さんが主な占めています。

 

 最近では、早稲田大学出身の加藤一二三さんや丸山忠久さんなど、プロ棋士も多く輩出しており、早稲田大学は一芸一能試験制度があり、優れた才能を持つ高校生に適用されるため、著名人にとっても入学しやすい環境として知られています。

 

 高校生活については、「一貫校なので中学校の頃とあまり変わらない気持ちです」と藤井さんはおっしゃっています。


藤井聡太の中学校は?

偏差値66の難関校
 藤井聡太さんは名古屋大学教育学部附属中学校に進学しています。この学校は偏差値66の難関校であり、長い歴史と伝統を誇っています。

 

 場所は名古屋市千種区にあり、昔からある学校です。高校と同様に中学校も少人数制で、1学年2クラスで約60人です。彼は中学2年生の時に将棋のプロ入りを果たしました。

 

 藤井聡太さんは非常に頭の良い生徒であり、塾に通わずに小学校6年生の12月から受験勉強を始め、合格しました。
また、中学時代でも授業が終わったらすぐに将棋の勉強や対局に時間を割いており、学校の宿題や勉強は休み時間に行っていたそうです。

 

 数十分の休み時間に宿題を終わらせ、予習や復習まで済ませていた藤井聡太六段は、名古屋大学教育学部附属中学校の卒業式に該当する「修了式」に臨んで、連盟を通じて「卒業という大切な節目に際し、新たな高みを目指して一層努力し続ける意思を持っています」とコメントを残しました。


藤井聡太の小学校は?

スタディ将棋から
 5歳で将棋教室に入会した藤井聡太は、師範から渡された「駒落ち定跡」(将棋の参考書のようなもの)を1年で理解・暗記したと言われています。

 

 なんと、そのページ数は500ページ近くもあります。しかも、当時まだ読み書きができない状態だったにも関わらず、符号だけを頼りに読んでいったと言われています。

 

 実は、藤井聡太さんの将棋への道は、母方の祖母である清水育子さんが一緒に遊ぶために持ってきたスタディ将棋から始まったようです。

 

 藤井聡太さんのメインの対局相手は祖母だったそうですね。さらに、藤井聡太さんは地元瀬戸市の效範(こうはん)小学校出身です。

 

 将棋人生のスタートは、5歳の時に祖父と将棋で遊んでいたことから始まったと言われています。小学校1年生の時には東海研修会に入会し、小学校3年生の時には第10回全国小学生倉敷王将戦・低学年の部で優勝を果たしました。

 

 具体的な日程は、2010年3月に小学校1年生の時に東海研修会に入会し、2011年8月に小学校3年生の時に第10回全国小学生倉敷王将戦・低学年の部で優勝し、さらに2011年10月にはJT将棋日本シリーズ東海大会の低学年の部でも優勝しています。そして、2012年6月に研修会B1に昇進し、2012年9月に小学校4年生の時には奨励会に入会することになりました。


まとめ

自主退学
 藤井聡太二冠(18)が名古屋大学教育学部附属高等学校を1月末に自主退学していたことが明らかになりました。

 

 卒業まで残り1カ月半ということで、「なぜ?」と思う人も多いようです。

 

 実際のところ、単位や出席日数が足りず「留年」となり、敢えて自分で「自主退学」を選択したのではないかという声も聞かれます。しかし、藤井さんのお母様は、「せめて高校まで出ておいてほしい」という願いを持っていたようです。

 

 ただし、将棋界では昭和時代までは中卒が一般的で、高校進学はプロになれない場合の保険とされていました。

 

 平成以降は高校進学が一般的になっているようですが、高校中退を選ぶ人もまだまだ多いそうです。実際、藤井さんの師匠である杉本昌隆さんも高校に進学していません。

 

 藤井聡太さんの高校中退について、将棋関係者の多くはこの決断をごく自然に受け止めているようです。