小泉進次郎と滝川クリステルが結婚&妊娠を発表

小泉進次郎と滝川クリステルが結婚&妊娠を発表

小泉進次郎と滝川クリステルが結婚&妊娠を発表

 



滝川クリステルオフィシャルブログより

 

 2019年8月7日総理官邸で小泉進次郎衆院議員とオリンピック招致のお・も・て・な・しで注目を浴びた滝川クリステルさんの電撃結婚が発表されました。会見では滝川さんは現在妊娠もしており、年明けに出産予定とのおめでたい報告もありました。

 

 そんなお二人の生い立ちからクローズアップしてみます。

 

自民党、小泉進次郎衆院議員(38) 
 1981年、神奈川県横須賀市生まれ。1988年神奈川県横浜市金沢区の関東学院六浦小学校に入学。関東学院中学そして高校、さらに大学卒業と系列校で過ごす。関東学院六浦小学校 の方針・理念としてキリスト教の教えに基づき、自分と他者を大切にしながら人として成長することがあげられます。

 

 1884年、米国の宣教師アルバート・アーノルド・ベネットによって設立された横浜バプテスト神学校が始まりとされ、1927年に関東学院が組織化。キリスト教の教えに基づいた校訓、Be a man and serve the world 人になれ、奉仕せよがあります。著名な出身者としては、古谷徹(声優)、小泉孝太郎(俳優)です。

 

 小泉進次郎氏は関東学院大学を卒業後に、米国ニューヨーク市に本部を置く私立総合大学コロンビア大大学院で修士号を取得。常に最上位に位置する米国屈指の名門校、アイビー・リーグの一つです。

 

 第44代アメリカ大統領バラク・オバマも最近の著名な卒業生の一人です。日本との関係を調べてみると、日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹がコロンビア大学の助教授として在任中の受賞があげられるでしょう。

 

 この大学は世界最高水準の研究が行われる研究機関としての拠点、及び100名を超すノーベル賞受賞者を輩出したすばらしき実績があります。

 

 ちなみに校訓は「In Thy light shall we see the light 汝の光によって我等は光を見る 」。

 

滝川クリステル(41)
 1977年フランス・パリ生まれ。本名:Takigawa Lardux Christel Masami 
滝川ラルドゥ・クリステル雅美 芸名:滝川クリステル。父親がフランス人で、母親が日本人のハーフです。モデルの滝川ロランさんは弟。

 

 キリスト教主義学校(ミッションスクール)の青山学院大学文学部フランス文学科を卒業。元共同テレビアナウンサーから→フジテレビへ出向し、『プロ野球ニュース』、『FNNスーパーニュース』、『少年タイヤ』などの番組に出演。→その後、フリーアナウンサーを経て・2011年には世界自然保護基金ジャパンの顧問に。

 

2012年には世界の医療団親善大使などを務め、フランスの芸術文化勲章シュバリエを受賞。
2013年ブエノスアイレス、各国の五輪誘致活動でので英語とフランス語によるプレゼン、『お・も・て・な・し』で注目を浴びました。
2014年動物保護と生物多様性保全を目的とした『一般社団法人クリステル・ヴィ・アンサンブル』を設立。代表理事に就任。

 

 そして今回の結婚発表で妊娠5カ月、年明けの出産予定を報告していますね。
ここで小泉家の歴史を再確認してみようと思います。

 

小泉家の歴史
1942年生まれ、祖父は逓信大臣・衆議院副議長を歴任した小泉又次郎で、父は防衛庁長官をつとめた小泉純也。
1967年慶應義塾大学経済学部卒業。
1972年父・純也の地盤を継ぎ、総選挙で旧神奈川2区から立候補し衆議院議員に初当選。
2001年4月党総裁選に立候補、選出され小泉純一郎内閣が発足。
2006年9月26日任期満了により退任、5年5か月にわたる長期政権は佐藤栄作、吉田茂に次ぎ戦後歴代3位となっています。

 

1978年小泉純一郎氏は、当時青山学院大学4年生だった15歳下の一般女性の宮本佳代子さんとお見合いによる結婚をします。そして同年7月に長男の孝太郎さんが誕生します。
1981年次男の進次郎さんが誕生。
1982年小泉純一郎氏と宮本佳代子さんの結婚生活にピリオドがうたれます。しかしこのとき宮本さんは妊娠6カ月。翌年83年に生まれた三男・佳長さんは、家庭裁判所の調停での親権争いの末親権を認められ、宮本さんが育ててきました。小泉家は3代続く政治一家、宮本佳代子さんはエスエス製薬の創業者の孫娘。協議離婚により、跡取りとなる長男と次男は小泉家へ。純一郎氏が、妊娠6ケ月の妻との離婚や三男に対していかに冷たかったかなど過去に週刊誌で幾度となく報じられました。

 

 以上の小泉家の歴史を解いていくと、今回の進次郎氏の
(小泉純一郎のマネはしたくないけど、父親としては小泉純一郎のようになりたい。愛情深く、心から自分が親から愛されていると思わせてくれた)
との発言の意味合いがわかるのではないでしょうか。