
元関脇・鶴ケ嶺の三男として生まれ
関脇寺尾の錣山親方(本名・福薗好文)は、突っ張り一本やりの闘志に溢れ、甘いマスクで人気がありましたが、残念ながら17日、60歳で東京都内の病院で亡くなりました。
錣山親方は「もろ差しの名人」として知られる元関脇・鶴ケ嶺の三男として生まれ、父の師匠である井筒部屋に入門。
1979年の名古屋場所で初めて土俵に上がりました。彼は長男の鶴嶺山(元十両)や次男の逆鉾(元関脇・先代井筒親方)と共に3兄弟で土俵を盛り上げました。彼の父は名関脇であり、3兄弟も関取になり、逆鉾との兄弟で同時に関脇の地位を達成しました。
通算出場回数など多くの記録で歴代10傑に名を連ね、116キロという細身の体ながら、「鉄人」という異名も持っていました。以前から不整脈など心臓の持病を抱え、闘病生活を送っていたことでも知られています。
回転の速い突っ張りを武器として
ポプスターなイメージで人気を博した関脇寺尾。さらに、通算出場は歴代4位の1795回、通算連続出場は同7位の1359回、幕内連続出場は同4位の1063回、幕内在位は同6位の93場所を記録するなど、鉄人としても名をはせました。
2002年秋場所限りて?引退し、年寄・錣山を襲名しました。2004年1月に錣山部屋を創設し、小結・豊真将や現役て?関脇経験もある小結・阿炎らを育てました。
通算成績は860勝938敗58休。通算勝利860は歴代9位、通算敗北938は歴代2位。幕内成績626勝753敗16休。
通算出場1795回は歴代3位、通算連続出場1359回は歴代6位。
幕内在位93場所は歴代4位。幕内出場1378回は歴代4位、幕内連続出場1063回は歴代4位。現役時代の身長は185センチ、体重116キロ。
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決まり手は「三所攻め」ではないでしょうか。
格上挑戦になる寺尾の果敢な攻めで、相手有利な組み合いになっても仕掛けていく姿勢があったからこその勝利ですね!
「まぐれです」と寺尾は直後のインタビューで答えていましたが、足掛けが上手く決まって見事すぎる逆転となりました。
「華のサンパチ組」
元寺尾の錣山親方の訃報「華のサンパチ組」相撲協会・八角理事長によって悼まれています。死因はうっ血性心不全であり、相撲協会が発表しました。
八角理事長は18日午後、藤島親方と高田川親方と一緒に都内の錣山部屋を弔問に訪れ、コメントを発表しました。「華のサンパチ組」として出世を競い合ってきたこと、回転の良い突っ張りからの真っ向勝負で数度苦労したこともありました。
寺尾さんは現役時代を長く務め、師匠としても関脇の阿炎や小結の豊真将など多くの力士を育て、相撲道の継承と発展に尽力されました。
まだ60歳と若く、阿炎をはじめとする部屋の力士たちの成長を見届けたかったのではないかと思います。生前の功績を偲び、謹んで御冥福をお祈り申し上げます。
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