ジャック・オ・ランタンとはなんでしょうか?
ハロウィンでよく聞くジャック・オ・ランタン(Jack-o'-Lantern)とはなんでしょうか?
また日本のハロウィン・ハロウィンナイトでは複雑なコスチュームを身にまとい多種多様なパフォーマンスも見かけます。
でも純粋にハロウィンでのあのカボチャも何か関係があるのでしょうか?
ルーツを調べてみようと思います。
アメリカハロウィンのメインシンボル
ハロウィンの季節になるとカボチャの目と鼻、そして口をくり抜いて中に空洞をつくり、ろうそく(キャンドル)を灯す動画や画像を目にしたことはあると思います。10月31日のハロウィンでは、子供たちはこのカボチャのランタンを灯し、お化けや妖怪の衣装を身にまといトリック・オア・トリートと言いながら、町中の家々を訪問します。かわいい魔物のために、キャンディーやお菓子が用意され子供たちは街中を練り歩きます。
これには魔物、悪霊に扮した子供に対しお菓子をあげることで魔物のご機嫌をとり、家に寄り付かないようにする意味があるそうです。
ちなみに、トリック・オア・トリートという言葉が全米に伝わり初めたのは1920年頃。その後1950年代には、見知らぬ子どもの訪問を怪しむことなくハロウィンの風習としてトリック・オア・トリートが定着します。残念ながら、日本ではこのトリック・オア・トリートは定着せず、仮装パレードが全国各地で開催されています。
ハロウィンはいつから?
ハロウィンの起源として、古代ケルト民族(紀元前)のドゥルイド教で慕われていたサウィン祭(秋の収穫を感謝祭)と言われています。 古代ケルトでの新年は11月1日とされており、旧年の前夜10月31日(大晦日)から秋の収穫物を持ち寄るなど、盛大な祭典が催されていました。
しかしこの日は死後の世界と通じる日と捉えられ、先祖の霊が家族の元に戻ってくると信じられていました。それと同時に悪霊も人間界に来て人さらいや農作物など甚大な悪行を行うと考えられていたのです。古代ケルト民族の人達は、悪霊退散の為に魔除けの焚き火や仮面の着用、また仮装を行い始めたのです。
キリスト教の祈りを捧げる「万聖節」
ハロウィンのルーツを調べると、壮大な歴史(2000年以上)のある祭典と言えるでしょう。キリスト教の祝日、諸聖人に祈りを捧げる祝日「万聖節」。
キリスト教ではこの10月31日〜11月2日まで、現生に戻ってくる死者の魂を慰める行事を行っています。結果としてヨーロッパの各地域の宗教や慣習、風土などが複雑に絡み合い発展しアメリカ大陸へ。
いよいよジャック・オ・ランタンとは?
ジャック・オ・ランタンについて書物を調べると、微妙なニュアンスで訳されたものが多いと思います。多くの翻訳された内容を照らし合わせると、最終的な着地点はほぼ近いのですが途中の異なる通過ポイントありという印象を受けました。
ジャック・オ・ランタンとは、アイルランド及びスコットランドに伝わる古い物語。多くはアイルランドが発祥(アイルランド民謡)と記されています。飲んだくれのジャック・オ・ランタン。彼については”意地悪な鍛冶屋”、”飲んだくれ”や”嘘つきでなまけ者”とも記載があります。
飲んだくれのジャックは、ある日注文したお酒の支払いにお金が足りませんでした。そんなジャックの元に悪魔がすり寄ると、『私の魂と引き換えに最後にお酒を飲ませてくれ』と嘆願するのでした。ジャックとの約束を受け、悪魔は自らをコインと化したのでした。(悪魔との魂の契約に関しては、1年後に引き換えともいわれています)。
悪魔の再訪も、ジャックは十字架を用い罠を仕掛けます。ついに罠にかかった悪魔に対し、今度は私を地獄に落とさない約束を強制的にさせるのでした。
結果として、寿命が尽きても天国にも地獄へも行けないジャック・オ・ランタン。ランタンに火をともしながら、さまよう屍となるのでした。
現在も残るスコットランドのかぶのジャック・オ・ランタン
アメリカでは、カボチャのジャック・オ・ランタン。一説には、ケルト民族のアメリカへの移民によるものとも言われています。スコットランドではカブのカブのジャック・オ・ランタンのようです。
ハロウィンからわかったこと
ハロウィンは20世紀初頭に、人種、社会や宗教的背景に関係せず、アメリカ、の東海岸から西海岸へと普及しました。トリック・オア・トリートをキーワードとして全米に広まっていったのは、製薬会社や映画会社、テレビ局などが中心となったのも背景にあるようです。
アメリカでは、クリスマスに次ぐ大イベントですね。