16年ぶりにGT-R復活
スカイラインGT-Rは、1989年に復活。日本はもとより海外でも人気のBNR32型スカイラインGT-R。通称名R32GT-R。
スカイラインとしては8代目になり、16年ぶりにGT-Rの名を冠したモデルとなります。
スカイラインGT-R専用のエンジン「RB26DETT」を搭載。スペックは排気量2568cc、直列6気筒DOHCツインターボエンジンの最高出力280ps/最大トルク40.0kgmを誇りました。
驚くことに、これはあくまでもカタログ上の数値です。潜在的なパフォーマンスとして、レースでは600ps以上を発生する実力を兼ね備え、2.6リットルという排気量もレースのレギュレーションに合わせたものとなっています。
多くのファンを魅了してきたR32GT-Rの何が素晴らしいのか、歴史とともに調べてみようと思います。
全日本ツーリングカー選手権で勝つ
R32GT-Rはバブル景気に沸いていた1989年にデビュー。
同年にはトヨタ セルシオ(LEXUS LS)、マツダ ユーノス ロードスターなども販売を開始し世界にも影響を与えました。
しかしR32GT-Rは単なるバブルの申し子でもなく、日産にとりGT-Rというスペシャルモデルを16年ぶりに復活させ、全日本ツーリングカー選手権で勝つという使命、重責を担ってきたのです。
それも国内での販売と限定し、レースに常勝するために。
1990年代までに技術で世界一を目指す
1980年代の日産自動車の社内では、1990年までに技術で世界一をめざすを合言葉に推進されていた運動がありました。
そう有名な日産の901活動です。
この901ミッションにより開発された最新のハンドリング技術、アテーサE-TS(電子制御アクティブトルクスプリット型フルタイム4WD)、スーパーHICAS(後輪操舵機構)。
この技術の集大成が惜しげもなくR32GT-Rに搭載されたのです。
これらのテクノロジーの役割として、電子制御トルクスプリット4WDシステムATTESA E-TSにより通常のFR走行で高い操縦性能を維持。
後輪のグリップが失われた時には、前輪に自動でトルクを伝達し、ハイパワーに対応しながら強いトラクションを得ることが可能となりました。
さらに電子制御四輪操舵システムSuper HICASにより、高速旋回時の操縦安定性も向上。これらのデバイスを備えたR32GT-Rがようやく誕生したのです。
伝説が生まれたレース
GT-R誕生の翌年、1990年全日本ツーリングカー選手権のグループAに参戦し、衝撃的なデビューを果たします。
当時のツーリングカーレースで世界最強と言われていたライバルのフォード・シエラRS500。なんとそのシエラRS500を、レースの1/4を終えた時点ですべて周回遅れにしたのです。
結果としてR32GT-Rは圧勝でレースを終了。
1990年全日本ツーリングカー選手権グループAに参戦から、このカテゴリーが終了する1993年までシリーズチャンピオンの座を守り続けた。全日本ツーリング選手権が終わるまで、無敗の29連勝
グループAレース
日産自動車は、タイヤサイズに制限のあるグループAレースでは500馬力以上になるとFRでは受け止められず、パワーの有効伝達には4WDが必要という見解でした。
ですがフロントタイヤにも駆動力がかかる4WDでは、アンダーステアが厳しくなり車重も100s近く加算される。
長谷見昌弘、星野一義らレジェンドも、最初は4WD化には反対という立場でした。
これらの技術的な問題の解決のために、大きな力が加わり後輪が空転したときにだけコンピュータが自動的に多板クラッチを制御し、前輪に駆動を伝える電子制御トルクスプリット4WDシステム=アテーサE-TSを開発に至った経緯があったのです。
常勝のために
国産車として、初めて本格的なニュルブルクリンクでの洗礼を受けたR32GT-R。
フロントサイドメンバー、サイドシルインナー、フロントストラットハウジング、フードレッジアッパー、リアクロスメンバー、リアサイドメンバーレインフォースには高張力鋼板の採用と最強ともいえるボディ剛性を兼ね備えています。
最強のR32GT-Rたるゆえんが少しわかったような気がしました。
スカイライン 2ドアスポーツクーペGT-R(E-BNR32)
全長:4545mm 全幅:1755mm
全高:1340mm ホイールベース:2615mm
車両重量:1480kg 乗車定員:4名
エンジン型式:RB26DETT型
エンジン:直列6気筒DOHC
総排気量:2568cc
最高出力:ネット280ps/6800rpm
最大トルク:36.0kgm/4400rpm
ブレーキ前/後:Vディスク/Vディスク
タイヤサイズ前後:225/50R16
発売当時価格:451万円