芸能界の大御所
毎週日曜日のTBS「アッコにおまかせ」を中心に司会者や歌手としての大活躍の和田アキ子さん。
以前から、在日韓国人だと噂されていました。芸能界のご意見番として定評がある和田アキ子さんですが、実際に生い立ちから芸能界に至るまでの経緯を調べてみようと思います。
また、在日韓国人であることを告白するまでと併せて紹介します。今回は、在日韓国人2世だった和田アキ子について調べてみようと思います。
昭和46年7月23日の官報第13376号
和田アキ子さんは 1950年4月10日生まれの73歳(2023年12月現在)。大阪府大阪市生野区鶴橋出身の彼女は、幼少期は在日韓国人としてかなり差別を受けたようです。
和田アキ子さんが、韓国から日本に帰化したのは1971年7月(昭和46年7月23日 官報第13376号より)。
金福子という本名と合わせ、帰化する前には金海福子という通名を使用してたようです。通名に関しては、在日韓国人の差別化を防ぐ名目もあり、この氏名を用い生活することがとても多かったのです。
このように帰化を申請したことについては、和田アキ子さんの父親は自分の娘が芸能界でデビューする際に、在日韓国人だと悟られないようにするためにだったようです。
おかもとまりさん結婚発表当日に,再婚相手の市議会議員に辞職勧告決議が
済州島出身者の父に朝鮮半島出身者の母
済州島出身者の父に、朝鮮半島の慶尚南道出身の母を持つ和田アキ子さんは、在日韓国人2世であり以前の本名は金福子、通名は金海福子でした。
実は帰化に関して細かく調べてみると、和田アキ子さんの叔父(叔父は当時既に帰化して「和田」姓だった)との養子縁組により、養女となり同時に名前も「現子」と改名して「和田現子」となったのです。既に和田アキ子さんは、日本に帰化しています。
和田アキ子さんの家族構成は、父・金基淑(きんもとよし、金海基淑)、母は金海森子。それに3人の弟がいます。
韓国から大阪府鶴橋に移住。和田の実家は、大阪環状線にとても長屋の連なる一角にあります。父は料亭を経営し、自宅では「金海道場」という柔道場を開き、母は、鶴橋・国際市場で米屋を営んでいました。
在日韓国人であることを告白
『週刊文春』2005年8月11/18日夏の特大号では、「『自分は日本人ではない』と知ったのは中学生の頃。区役所に行って分かった」と語っています。この中で、両親は韓国の出身であり、和田アキコご自身が在日韓国人2世であることも告白しています。
日本で生まれ、日本で生活してきたことにより、韓国語に関しては全くと言っていいほど話せず、書くこともできないようです。
15歳のころにはジャズ喫茶やゴーゴークラブで歌い始め、 ホリプロ(当時:ホリプロダクション)社長の堀威夫から直々にスカウトされ、1968年にデビュー。
2枚目のレコード「どしゃぶりの雨の中で」が大ヒット。また、1972年にリリースされた「あの鐘を鳴らすのはあなた」では第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞しています。
9ヶ月後にスピード離婚
和田アキ子さんは1976年に当時のマネージャーである小林甫と結婚します。
しかし、小林甫が別のタレントの担当に変えられてしまったいきさつもあり、生活のすれ違いから9ヶ月後にスピード離婚しています。
5年後の1981年6月1日には、カメラマンの飯塚浩司さんと再婚。和田アキ子さんが出演されたフジテレビ・ドラマ「ひまわり戦争」のときにカメラを担当していました。
残念なことに、結婚後に和田アキ子さんは子宮がんになり、子宮を全摘出しています。
子供が産めない身体になったことから和田アキ子は離婚を求めたものの、夫は離婚を求めず、今も仲良く結婚生活を送られています。
和田アキ子(わだあきこ)
出生:1950年4月10日 70歳(2021年1月現在)。
出生吊:金福子 Kim Bokja
帰化前の通吊:金海福子(かねうみ ふくこ)
帰化後の旧姓:和田現子(わだ あきこ)
帰化後の本吊:飯塚現子(いいづか あきこ)
国籍:韓国→日本(昭和46年に帰化)
出身地:大阪府大阪市天王寺区舟橋町
血液型:O型
身長:174cm
田坂恵理子(高野恵理子)の家族構成は?失踪?200万円以上の公金と寄付金が消失