10代から摂食障害
2023年3月、3度目のスピード離婚をしていたことを公表し、世間を騒がせた遠野なぎこさんの近影には心配の声が上がっています。
なお、12月25日には居酒屋で注文したエイヒレを食べきれず、その旨をInstagramで報告しています。
遠野なぎこさんは子役としてデビューし、1999年に放送された朝ドラ『すずらん』でヒロインに抜擢され、一躍ブレイクしました。
また、10代から摂食障害と闘っていることを公表し、現在も治療を続けているそうです。そんな遠野なぎこさんについて、今回は調べてみようと思います。
15歳から現在の43歳まで
雑誌のインタビュー記事で、遠野さんは「15歳の時から」摂食障害を抱えていることを公表されています。
食べるのをやめるまでお腹を張り詰め、その後は全部嘔吐、最もひどい時には、1日5回も繰り返し、これにより心の穴を埋めようとしています。15歳から現在の43歳まで、ずっと続いていて、現在は過食嘔吐の時期と拒食の症状が少し混ざっているよう。
日常が普通じゃない。食を楽しめないですもん。友人と食事をして「おいしいね」と言い合う、そのやり取りがどれだけ幸せに思えるか。涙が出そうになります。いいなって思います。普通になりたい、私も。
切実な摂食障害の現状を語っています。
摂食障害になったきっかけ
15歳の頃、体型の変化が敏感になっていた時に、遠野さんは摂食障害を抱えていたお母さんから「吐けば太らないよ」というアドバイスを受けました。
そして、2014年に発売された著書『摂食障害。食べて、吐いて、死にたくて。』では、摂食障害について率直に描かれています。
私が15歳の時、思春期で少し体がふっくらしてきた時期に母から「食べて吐けば太らないのよ」って。どういうふうに吐けばいいかも教えられました。
そこから止まらなくなってしまって。20代ぐらいになって、母も摂食障害だったんだと知りました。ある日、お風呂で吐いてるのに気付いて「ああ、母が私を巻き込んだんだ」と。
母親に外見を否定され続け
遠野なぎこさんはお母さんが18歳の頃に妊娠し、19歳で遠野さんを産みました。遠野さんの母親はいつも私の外見を「醜い」と否定し続けていたようです。
両親は何かあるたびに、私がまだ幼かった頃から暴力を振るったり、精神的に追い詰めたりすることを繰り返していました。髪の毛をつかまれて壁に叩きつけられたり、体を引きずり回されたりすることもありました。
殴られた後には鼻血が止まらず、ティッシュの代わりに投げつけられた青いバケツを使って処理していたそうです。私は20代後半の頃から十数年間、母とは絶縁状態でした。
弟さんから事務所を通して
遠野なぎこさんは、2022年5月に母親が3人目の旦那がガンで亡くなった次の日に、自死したことを明かしています。(2023/03/06文春オンライン参照)
遠野なぎこさんが20代後半の頃から十数年間、お母さんとは絶縁状態であった為、ある日、弟さんから事務所を通してこの件の連絡があったとき、「もしかして」と用件がなんとなく分かってしまったそうです。
また母に対してはこのように語っています。
母は私に対して、娘というより「女」として対抗意識を燃やしているような部分もあったと思います。だからなのか、私が弱れば弱るほど喜ぶ、みたいな感じでした。
私は1週間くらい泣き続けましたね。「悲しい」とか「寂しい」じゃなくて「悔しい」「ふざけんな」の涙でしたね。葬儀には参列しませんでしたし、死に顔も見ていません。
3度目の結婚生活は、わずか2週間
遠野なぎこさんの結婚歴をみてみましょう。2009年に結婚した2歳年下の会社員の方とは僅か約2カ月結婚生活でした。
2014年に再婚し、5歳年上の経営者男性とは55日で離婚に。2023年2月22日に3度目の結婚をしますが、年上の会社員男性とはわずか2週間でのスピード離婚となったのです。
なお、3度目の離婚を発表後、マッチングアプリで出会った男性とお付き合いをしていましたが、2023年5月に別れたことをTV番組で報告しています。
NHKの連続テレビ小説『すずらん』ではヒロインに
遠野なぎこさんは、6歳で子役として芸能界デビューし、NHKの連続テレビ小説『すずらん』ではヒロインに。しかしその裏では、幼少期からの母親による虐待や育児放棄、さらに現在では摂食障害と向き合う姿をインスタグラムなどで報告されています。
親の虐待が、人生に及ぼす影響の大きさを感じずにはいられません。しかし必死に生きる彼女のメッセージは、同じ境遇の方々など、世の中の人の生きる糧でもあると思います。
これからのさらなる活躍に期待しています。
プロフィール
本名青木秋美
別名義遠野 凪子(旧芸名)
生年月日1979年11月22日(43歳)
出生地 神奈川県川崎市
身長164cm
血液型O型