科学の父
イタリアのルネッサンスを代表する物理学者、天文学者、哲学者であるガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)。
1063年にパレルモ沖でサラセン(現在のシリアからサウジアラビアにまたがる地域の砂漠遊牧民)の艦隊を破り、それを記念して建築を始めたといわれるピサ大聖堂の鐘楼は『ピサの斜塔』として知られています。また、この塔の立つ「ピサのドゥオーモ広場」は、1987年世界遺産に登録されました。
ガリレオ・ガリレイによる、このピサの斜塔から大小二つの金属の玉を落とし、重力による物体の落下速度は、その物体の質量の大きさに依らないことを証明した実験はあまりにも有名です。
地動説や太陽の黒点を発見するといった大きな功績から、近代科学の父とも呼ばれ、仮説を実験で証明するという手法を取り入れることにより、「科学」という概念を体系化しました。
しかしながら、実際にガリレオはピサの斜塔から鉄球を落としたのか?本当にランプの揺れに振り子の法則を発見したのか?など疑問視する声があるのも事実なのです。
今回は、物理学・天文学の分野において現代科学の礎を築き、たくさんの功績を遺したガリレオ・ガリレイについて調べてみようと思います。
1564年 0歳 ガリレオ誕生
1581年 16歳 ピサ大学に入学します
1589年 26歳 ピサ大学の教授に
1591年 28歳 父・ヴィンチェンツォが死去
1609年 44歳 望遠鏡を自主製作します。
1615年 50歳 地動説から、修道会と論争になります。
1616年 51歳 第1回異端審問所審査で地動説について注意勧告を受けます。
1633年 68歳 第2回異端審問所審査で軟禁刑を宣告
1642年 77歳 アルチェトリにて没
父親のヴィンチェンツォ・ガリレイは音楽家であり、リュート奏者でもありました。音響学の研究において、数的な記述・分析を重視する手法を活用。ガリレオの数的手法に影響を与えたとされています。
1581年ガリレオはピサ大学に入学します。この頃、ガリレオはユークリッドやアルキメデスについて学び、大学で数学や天文学などを教えながら自身の研究や発明に没頭します。
25歳になったとき、大学教授として教壇に立ち、数学、幾何学、天文学を教えるのです。
1608年、ガリレオは望遠鏡の発明特許について内容を把握し、自ら20倍の望遠鏡を作ります。翌年以降、月面の凹凸や木星を発見します。
1610年、観測結果から論文発表し、木星の衛星の発見は当時の天動説にはそぐわないものであり、論争に巻き込まれるも世界的な名声を博したのです。
ガリレオは地動説の正しさを提唱
ガリレオ・ガリレイは、天文学に関する多くの研究を行ったことから「天文学の先駆者」と称されています。
ガリレオの最も有名な業績は地動説の提唱とされています。当時の一般的な認識は「天動説」でした。
かつては「天体が地球の周りを回っている」という天動説が当然のように信じられていました。しかし、ガリレオはその常識をただ受け入れることなく、自分自身で観測や研究を行い、地動説へとたどり着きました。
ガリレオ・ガリレイの前にもコペルニクスという人物が地動説を提唱し注目されていましたが、ガリレオは望遠鏡を通して地動説を発見しました。
当時オランダで望遠鏡が発明されたという情報を耳にした彼は迅速に望遠鏡を製作し、天体を観測しました。
その際、「月の凹凸」「木星の周りを回る4つの衛星」「金星の満ち欠け」などの発見がありました。
特に木星の周りを回る4つの衛星の存在は、「地球を中心に回っていない天体が存在する」ということを示す点で、天動説に疑問を投げかける価値のある発見と言えます。これらの発見をもとに、ガリレオは地動説の正しさを提唱しました。
ガリレオは1633年の裁判で有罪判決を
数多くの証拠を示して提唱された地動説ですが、キリスト教の教義に反するとして、ガリレオは異端審問にかけられてしまいました。
異端審問とは、中世以降のカトリック教会において正統な信仰にそむく教えを持つ者(異端者)と疑われる人を裁くために設けられた制度です。この制度で行われる施設は「異端審問所」と呼ばれます。
当時、正統な宇宙観を否定する説教や書物の出版は厳しく規制されており、ガリレオは1633年の裁判で有罪判決を受けました。この背景には、前年に発行された『天文対話』が影響しています。
『天文対話』は天動説と地動説の立場を持つ2人の学者の対話形式で構成された書物であり、天動説の矛盾と地動説の正しさが一般の人々にもわかりやすくまとめられています。
それにもかかわらず、有罪判決を受けてしまったガリレオは、制約のある生活を強いられました。しかし、後年になってその正しさが明らかになり、1960年代に入ってからローマ教皇庁が裁判の再審査に着手しました。結果的に、ガリレオの死から約350年後に無罪が確定しました。