和風月名(わふうげつめい)
旧暦においては、和風月名(わふうげつめい)と呼ばれる月の和風の呼び名が、使用されていました。
和風月名は旧暦の季節や行事に合わせたものとなっており、現在の暦でも使用されることがあります。しかし現在の季節感とは1〜2ヶ月の誤差があるようです。グレゴリオ暦では、1月下旬から3月上旬頃の初春にあたります。
睦月という名前の由来には多くの説があります。有力視されていますのが、親族が一同集まり、宴をする「睦び月(むつびつき)」の意味とするものです。
ほかにも、「元つ月(もとつつき)」「萌月(もゆつき)」「生月(うむつき)」と捉える説もあるようです。
グレゴリオ暦
太陽暦の一つで、世界の多くの国で採用されている暦法です。グレゴリウス暦は、1582年当時のローマ教皇グレゴリウス13世によって導入されました。
ユリウス暦同様に、約4年に一度の閏年を設けて調整し、グレゴリオ暦における1年は365.2425日となっています。ユリウス暦に比べ、太陽の運行とのずれが大幅に縮小。日本においては、1873(明治6)年1月1日に、太陰太陽暦からグレゴリオ暦に改暦されました。
1年の平均日数は365.2425日となります。1年の長さ(1太陽年)は理論的に、365.24219878日−6.14日×10−6×Tとなるようです。
二十四節気
季節の変化を認識するために、地球が太陽をまわる一年を24に分類し、「春分」「秋分」などの季節を表す言葉をつけ表現。これが「二十四節気」と呼ばれています。
これらをさらに5日ごとに3つに分け、全体で72にしたものを七十二候といいます。気候という言葉は、この二つをあわせてできたものとなっています。
農家では、この二十四節気をもとにして種まきや収穫などをおこなってきました。より細かく四季のうつろいを感じられるようになったのです。
1月 小寒(しょうかん)
冬季の二十四節気(にじゅうしせっき)のひとつ、小寒(しょうかん、1月5日ごろ)。
この日を「寒の入り」といい、池や川の氷も厚みを増し、さらに寒さが厳しくなる頃です。寒さが加わる頃という意味もあります。この小寒から節分までの30日間を「寒の内」といい、寒風や降雪などで寒さが厳しくなる時期となっています。ここから、冬が本番を迎えます。またこの日から、寒中見舞いを出し始め、1月下旬までに先方に届くように送るのがマナーとなっています。
大寒(だいかん)
さらに寒さが厳しくなり、1年の中で最も寒い時期。その分、冬の季節では最後の節気となります。耐寒マラソンや寒稽古など、寒さのなかで体を鍛えるいろいろな行事が行われたり、寒気を利用した食べ物(凍り豆腐、寒天、酒、味噌など)を仕込んだりする時期です。
大寒と小寒を合わせ、寒の内(かんのうち)と呼び1年でもっとも寒い時期です。日本の各地域において、最低気温を記録することが多く、寒の内の期間は約30日間。小寒に入ることを、寒の入り(かんのいり)と、大寒が終わるとき寒の明け(かんのあけ)と呼びます。
大寒が終わると、春の始まり「立春」を迎えるのです。
七草がゆ
この時期には、一連の正月行事の締めの『七草がゆ』を食べる習慣もあります。1月7日に七草がゆを食べるようになった起源は平安時代にあり、中国から大きな影響を受けています。
1年間の無病息災への祈りを込め、1月7日に春の七草【芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏の座(ほとけのざ)、鈴菜(すずな)、清白(すずしろ)】の入ったお粥を食べます。
旧年の厄をはらうために、さらに新しい一年の健康祈願として、当日の朝に春の七草をつかった七草がゆを食します。
古代中国の年中行事を記した書物から読み取れること、これは1月7日は人を占う日として「人日(じんじつ)」といい、人日には「七種菜羹(ななしゅさいのかん)」という7種類の野菜をいれた熱いとろみのある汁物を食べて無病息災や立身出世を祈願。
しかし、日本では雪の間から目を出した草を摘む「若菜摘み」という宮中行事がおこなわれていました。
これらの中国と日本の文化が合わさり、人日の節句に若菜(七草)の入った粥を食べる風習がうまれたと言われています。平安時代から続くこの風習が定着したのは、江戸時代のようです。
江戸幕府では七草がゆを食べることが公式行事とされ、五節句は式日(現在の祝日)に定められ、幕府内では七草がゆを食べることが定着し、やがて庶民の間にも広まっていったとされています。